Column/Interview

1月28日、DU BOOKSより、つやちゃんによる書籍『わたしはラップをやることに決めた』が発売された。女性のHIPHOPアーティスト達が発表してきた作品、抱いてきた想いをすくい上げた本書は、日本のHIPHOPにおいて光が十分に当たってこなかった領域を確かに照らして見せた。

もちろん本書は(著者が書籍内で記す通り)始まりに過ぎない。本書を唯一無二の成果とせず、本格的に彼女たちの作品、そこで成し得た功績を語り続けるのは、「HIPHOPシーン」なるものがあるのであれば、その全体で求められる作業だろう。とは言うものの、もちろん本書がその熱量で掘り起こしたものも凄まじい。各アーティスト達への論考に始まり、後半には約200タイトルのディスクガイドを掲載。この圧倒的なボリュームで紡がれた本書を手掛かりに、今回PRKS9ではつやちゃんとの対談を実施。後編ではディスクガイドを元に、両者が好きな作品を総ざらい。好きが高じた座談会の中で、期せずして浮かび上がってきたものとは。

つやちゃんによる公式プレイリスト:

「免許制時代」の偉人たち

遼 the CP:
前編ではつやちゃんさんの書籍『わたしはラップをやることに決めた』から紐解くHIPHOPシーンの全体構造みたいなお話をしてきましたが、ここからは本書に収録されている全200作品以上(!)のディスクガイドを基に、気になる作品を語り合っていきましょう。女性ラッパーの作品だけでこれだけの量があることに改めて驚嘆させられます。年代順に並んでいるこのディスクガイドを見ながら各時代のトレンドも押さえていきたいですが、まずはゆるく始めたく…つやちゃんさんとして、特にここで推しておきたい作品はなんでしょう?

つやちゃん:
いやあ、もうほんとにどれも素晴らしいからぜひ全部聴いて~!って感じなんですけど、まず隠れた名盤としては、P.209にある真衣良『観世音!ディグラー』(2006年)ですね。いまだに一部のリスナーからも熱狂的な支持を得ている作品で。私がSNSで本書の出版を告知したときも、信頼している方が「真衣良は入ってるだろうか!?」ってツイートされてました(笑) 本当にこれは傑作ですね…DJ PMXがプロデュースした”FUNKY NEW STYLER”なんて、韻の踏み方もリズム感も神がかってて凄くカッコ良いです。グルーヴが半端ない。

遼 the CP:
ヤバい、いきなり見逃してるのが出てきた…(笑) DJ PMXプロデュースということは、全編ウェッサイな感じなんですか?

つやちゃん:
いや、他にもプロデューサーが参加していて、音楽性はもっと幅広いですね。リリース当時も一部からは評価されていました。真衣良の何が特徴的かっていうと、男性的な声色なんです。リリックでも自分のことを「オレ」って言ってたり、男性ラッパーのHIPHOPと地続きで聴けた。でも、今考えたらそれって男性的だから聴けるっていう偏った価値観でもありますね。

遼 the CP:
ここまでのラインナップを見ていても、真衣良が2006年リリース…この頃までは、女性のラッパーは如何に男性的なスタンスに寄せてこれるか、って勝負でしたよね。この前に載っている作品を見ても、姫『姫始』(2003年), MARIA『First On The 2nd Floor』(2001年)もですし。遡ればHACやRIMといった黎明期のラッパー達もそこに通じるものがある。RIMが女性の立ち位置に意識的だったのは本書でも触れられている通りで。HACについてはECDやPALM DRIVE, 果てはSISTER KAYAなどのレゲエサイドまで積極的にクロスオーヴァーした偉大なラッパーのひとりです。ただその抜け感のあるゆるいラップも…やや穿った見方かもしれないですが、逆に男性のハードラップとの相対性の中に回収されることで初めてポジショニングされていたようにも(今となっては)聴こえるかもしれない。この頃までは明確にHIPHOPの入口に「HIPHOPらしいとは何か」っていうゲートがあって、そこを通過した者のみがラップ出来る、免許制みたいな雰囲気はあったかも。

つやちゃん:
(本書を書くにあたって)当時の雑誌のレビューとかも読み返すじゃないですか。評の中で「ドスの効いた声」とか「強さを感じる」みたいな視点が凄く多いんです。だからやっぱり男性的なHIPHOPの軸があって、そこに沿ってるラッパーが評価される、っていう流れはあったんでしょうね。

遼 the CP:
当時のHIPHOPの磁場として…もっと言えば社会全体の風潮が今と異なる部分はありましたね。この観点で言うと浮き出てくるのがP.199のNOCTURN『NOCTURN SPARK』(1999年)かもしれません。個人的には載っていて凄く嬉しかった作品です。MOMOとChibisachiの2MCで、名古屋の重鎮・刃頭がプロデュースした作品ですけど、とにかくぶっ飛んでるんですよね。刃頭のビートがアヴァンギャルドで、その上で乗る2人のラップもあって変な世界が出来上がって…「これが20世紀のHIPHOPの音なの?」っていう(笑) 手に入れた当時はとても聴きこなせなかった。客演もCHISAやMACHACOなど、女性陣が多く駆けつけているのも印象的です。

つやちゃん:
NOCTURNはフィメールラッパーのシーンを盛り上げる、ということに凄く意識的だったんでしょうね。その後も蝶々やANTY the 紅乃壱とAMAZONESを結成したりしてますし。

他には2002-2003年頃の…P.202辺りなんかも特徴的だと思います。この頃っていわゆるラップブームの時期で、色んなアーティストが続々登場してきた。中でも、個人的にはSOULHEADは頭一つ抜けてたんじゃないかと思っています。

遼 the CP:
出た、SOULHEAD。激推しされる、その心は?

つやちゃん:
J-POPとHIPHOPをどのように融合していこうか、という試みが当時盛んに行なわれた中で、ポップスの華やかさを保ちながらもかなりUS HIPHOPに寄ってましたよね。華やかでありながら渋さもあるというか。歌パートとラップパートを取ってつけたようにくっつけた曲も当時多かった中で、そのつながりに全然違和感がない。今聴いてもめちゃくちゃ良い。R&Bも入ってて。

遼 the CP:
確かに、時流を押さえたR&Bをやっていて、それで当たり前のように日本のチャートで売れてましたもんね。TLCと並べてもそのまま聴けるみたいな。でも…SOULHEADに限らず、P.202の豪華さはいま見ると凄いですね。安室奈美恵のプロジェクトであるSUITE CHICもいてHeartsdalesもHALCALIもいて…当時子供だった自分には、このありがたみは分かってなかったな(笑) USオリエンテッドなアーティストから日本的に咀嚼したアーティストまで、このページにずらりと揃ってる。CDチャート的な意味での最盛期がこの1ページに収まってるとすら言っても良いかも。

つやちゃん:
各年代の中でアルファベット順に並べてるだけなんですけどね。奇遇にも、続くP.203が一転してアンダーグラウンドな陣容になってるのも面白い。なんかこの時代ってメジャーで売れ線のことやってたんだね、みたいに馬鹿にされがちなんだけど、そういう人には「いやいやまずSOULHEADから聴いてください」って言いたいし、「アンダーグラウンドでもいっぱい女性のラッパーがんばってました」って言いたい。

遼 the CP:
確かに…アングラサイドで言えば、LiL’AI『Ryukyu Rhymer』(2003年)なんて客演がD.O.にWARREN Gですからね。この2人が同じ作品に収まることあるの?っていう。他にも、先ほども話したMARIA(*SIMI LABのMARIAとは別人)も示唆的ですね。彼女や213 HIGH ROLLAZは同じレーベル・G-STAR ENTERTAINMENTから当時精力的に作品をリリースしていて。当時のギャングスタラップを正確に継承しようとするレーベルのアプローチにあって、MARIAのラップもまさに力強く男性的なそれでした。もちろん彼女は誇りを持ってラップしていたと思いますが、こうして時系列順に並べて見てみると、USから「正しく継承した」HIPHOPを「如何に男性的なスタンスでパフォーム出来るか」という、二重三重のストラグルに彼女が身を置いていたことが見えるというか。いま聴き直すと全然違う印象を抱きそうです。

SIMI LABのMARIAの登場 & RANLの怪作が変えた時代の空気

つやちゃん:
MARIA繋がりで言うと、P.214のSIMI LAB『Page 1: ANATOMY OF LIFE』(2010年)で登場してくるこっちのMARIAももちろん外せないですね。それまでの女性のラッパーって、マイクリレーになると「女性のラッパー入りました!」みたいな扱いのことが多いんですよね。「はい、華やかなパートです!」「ここ、サビです!」みたいな。その点、SIMI LABのMARIAはシームレスに入ってくる。これは、間違いなく新しかった。そういうのって空気で分かるから。あ、この人ほんとにクルーの一員で男性と対等なんだな、っていうのが自然な入り方で伝わる。

遼 the CP:
確かに…思い返すとそれまでマイクリレーに度々顔を出すような女性って、それこそRUMIかCOMA-CHIくらいだったような気もします。彼女たちが男と同じ土俵に立って、インファイトの連続を経てのし上がってきたみたいな存在だったのに比べて、また流れが変わった感じはあるかもしれないですね。それこそストラグルの積み重ねなんでしょうけど、SIMI LABくらいから女性のラッパーが「当たり前にいる」「いて何か?」くらいのナチュラルさが少しずつ出てきた。あとは…次のP.215にRANL『Service Time』(2011年)という世紀の怪作があるのも面白いですね(笑)

つやちゃん:
そうですね、これは問題作ですねぇ。2010-11年くらいに、RANLをきっかけにひとつまた新たな流れが始まった感じはありますよね。

遼 the CP:
RANLは「あ、これいけるんだ?」っていうか。今のHIPHOPって色んな意味でこれを受容出来るんだ、って当時驚いた記憶があります。キンキンのアニメボイス、あえて意識的に媚びまくったスタンス、でもラップは超スキルドみたいな。ネットとラップの接近、それによるナードカルチャーとHIPHOPの邂逅の典型例。この出会いは散々言われてることですけど、この時期の大きな革命でしたね。ナードはナードでもデジタルナードとの接合というか。Minchanbabyがヴァーチャルなギャルに扮したアルバム『ミンちゃん』(2012年)を出してたのも明確にこの線上にある。ネットがいよいよ全世代に開かれ、ナードにもHIPHOPが解放された中で、女性アーティストにとってもひとつチャネルが出来た時期だった…とも言えるんでしょうか。

つやちゃん:
辿っていくと、もしかするとハイパーポップの源流の一つはここにあると言えるかもしれませんね。かつ、デジタルなナードカルチャーを離れてみても、「文化系」なラップが現れたのもこの2012-13年頃からですよね。その流れで言うと…ESNO『Release』(2014年)も素晴らしいです。当時いわゆる文化系女子ラッパーって呼ばれてた人たちを集めたコンピレーションなんですけど、それこそdaokoとかもいて、アルバム全体の完成度が高い。ボンジュール鈴木が凄く良いんですよねー…。

遼 the CP:
ヤバい、全然知らない…!でもこうして並べて見ると、明確に2010-15年頃に掛けてナード、文化系がそのままの姿でHIPHOPしても良いんだよ、って受容が生まれたことが分かりますね。それまでのナードラップって、テーマやスタンスはナードでも、見た目やサウンドは明確にオーセンティックだった。でも、この時期の拡がりをもって新たに息を出来るようになった人たちは確実にいた。tofubeats “水星 feat. オノマトペ大臣”のREMIXに当たり前に仮谷せいらがいて、ゆるやかな空気を作ってくれて、プロップス爆上げみたいな。ああいうのもそれまでだと「ハードなラップじゃねえ」なんてことになってたのかもしれない。

つやちゃん:
そうですね。ナードカルチャーまで拡がることで、そこで救われた女性は多かったと思います。オーセンティックな形でなくても良い、という救いが出来た。そことも関連するんですけど、女性のアイドルラップみたいなものが多く出てきたのもこの頃からで。ファンベースにナードカルチャーの色合いも強いであろうアイドル文化も接近してきたことで、また接点がひとつ増えたというか。それで女性のラッパーの道筋が増えてきた、というのが2010年代前半の特徴でしょうね。

遼 the CP:
それで言うと…これを克明に覚えてるのもしかすると自分だけかもしれないんですけど(笑)、Lil’Yukichiが2011年に”Tengal6[Lil’諭吉 Remix]”をフリーダウンロードで発表していて。Tengal6はのちにlyrical schoolに改名するアイドルグループなんですけど、彼女たちの曲をLil’Yukichiがゴリッゴリの凶悪シットに改編してるんですよ。そこで自分はかなり衝撃を受けたんですよね。気鋭のプロデューサーが女性アイドルの曲をHIPHOPの論法で攻めて、こんなにカッコ良く仕上げちゃう。これもアリなんだってブレイクスルーが少なくとも自分の中では起きた。2010年代前半のフリーダウンロード全盛時代は色んなプロデューサーがアイドルや素人のフリー作品をあえて極悪にREMIXするみたいな流れがありましたが、あの神出鬼没な犯行は、実は結構色んな頑固リスナーのマインドを変えてったんじゃないかと。

ちゃんみなやAYA a.k.a. PANDAはなぜHIPHOPなのか?

つやちゃん:
フリーダウンロード全盛期にミックステープで名を挙げた筆頭・AKLOが『THE PACKAGE』をリリースしたのが2012年で。同じ年にRHYMEBERRYもデビューしてるんですよね。やっぱりネットとHIPHOPの流れのひとつとして、流れは明確にあった気がします。ネットが女性ラッパーにもひとつの場を与えた、という仮説はあり得るかも知れない。

遼 the CP:
ネットはマイノリティでも等しい声を上げ得るツールですからね。クラブに行けば声デカい奴が勝つけど、ネットでは1アカウント同士の勝負。ただ、ディスクガイドを見ていくと、2017年くらいからまた波長が変わりますかね?

つやちゃん:
そうですね、明確に今に繋がる流れが出てきますよね。それこそAwich『8』やあっこゴリラ『GREEN QUEEN』, ちゃんみな『未成年』も全部2017年で。

遼 the CP:
出たちゃんみな。彼女やHITOMIN, AYA a.k.a. PANDAは絶対に重要な存在ですね。

つやちゃん:
そうなんですよ!なぜかシーンからは外して語られたりしますが…。

遼 the CP:
俺自身がめちゃくちゃ愛聴するのか?と聞かれると、理由は後述しますが必ずしもそうじゃないです。でも、あれは自分の中でのHIPHOPド真ん中ですね。なぜなら何かをストラグルして作ってるから。

つやちゃん:
おお~。というのは?

遼 the CP:
というのは…よくHIPHOPを知らない人が言うことに「日本のHIPHOPはリアルじゃない、なぜならUSのラッパーは貧困や銃社会の中で生き残ってきたからだ、日本の恵まれた環境じゃぬるい」みたいなのがあるじゃないですか。ちげーよって思うんですよね。人の苦しみってあくまで本人の主観で決まるじゃないですか。明日食うものもなくて死にそうって奴の辛さと、衣食住には困らないけど学校で毎日いじめられてる奴の辛さ。これって本人からすればどっちも等しく10くらいあると思うんですよ。他人が外から「もっと辛い奴がいる」とか言ったって意味がない。自分にとっての辛さは確実に10でしかなくて、他の誰かの痛みでは目減りしない。で、自分にとってHIPHOPの重要なベースのひとつは「自分にとっての辛さレベル10の出来事と闘うこと」なんです。

それで言うと、AYA a.k.a. PANDAが失恋の曲を歌ったり、「あんたなんか願い下げよ」って強気に出る曲を歌うのは100%HIPHOPだと思ってる。なぜなら辛さ10の失恋で沈んでる誰かを奮い立たせて救ってるから。これがストラグルです。俺は別にその救いを必要とする層ではたまたまないので熱心なリスナーって訳じゃないですが、その意味ですごく大事な存在だと思う。

つやちゃん:
めちゃくちゃ同感です。そうなんですよね。誰かの辛さなんて比べられるものじゃない。この微妙な空気感はHIPHOPシーンにいるヘッズなら分かると思うんですけど、本書の前半で大きく取り上げている数名の代表的なラッパーにAYA a.k.a. PANDAを入れることの意味は問われるだろうな、とは考えていました。DAOKOもそれに近いですけど、でもDAOKOまでポップスにいくとヘッズはもう何も言わないというか。AYA a.k.a. PANDAの微妙なラインだと噛みつかれる。でも、彼女ももう10年以上続けてるわけで、絶対に何か胸に持ってるものがあると思うんですよ。ラップもめちゃくちゃ上手いですしね。おっしゃる通り、彼女なりのストラグルもリリックから伝わってきます。彼女は、HIPHOPをやっていると思う。だから、何を言われても知らん、絶対入れてやる!と思って入れましたね。

遼 the CP:
あとはゆるふわギャング『Mars Ice House』, NENE『NENE』も2017年ですね。

つやちゃん:
どうしよう、NENEは語っていくとそれだけで1時間かかっちゃいますね…大好きです、はい(笑)

遼 the CP:
フフ…みんな大好きゆるふわギャング。

Elle Teresa, NENE, 大門弥生…呼吸出来る彼女たち。

つやちゃん:
あえてこの機会なので別の作品に触れておくと、TENG GANG STARRは稀有な存在でしたね。アルバムだと『ICON』(2018年)の1枚だけ。突然変異みたいに出来たユニットであり作品で、今振り返っても重要作だったなと。特に今のハイパーポップの流れとかを見ると、なかむらみなみの存在感って凄いじゃないですか。彼女こそHIPHOPとハイパーポップ、それぞれのコミュニティを繋いでいる存在ですし、スキルに回収されない肉体的なラップが出来る人。男性に寄せていくわけでも、いかにも女性的であろうとするわけでもなく、「なかむらみなみ」としてそこにある。あらゆる意味で稀有な存在です。

遼 the CP:
さっき一瞬話に出たゆるふわギャングしかり、TENG GANG STARRしかり、男女ユニットが目立つようになったのもこの頃からですよね。もちろんゆるふわギャングは裏にAutomaticも鎮座してる訳ですが。その中でもゆるふわや…他にも以前のEco Skinny & Neon Nonthanaのように、その関係をオープンにするユニットも多くいる(いた)。

つやちゃん:
OKBOY & Dogwoodsとかもいますしね。一方で、Elle TeresaのようにYuskey CarterからBossman JP, KOWICHI, Tohji, gummyboyなどぐるぐる色んな男性ラッパーとやっていく人もいたり。彼女は色々叩かれたりしてきたこともあったと思うんです。でも、あの潔さであったり「ラップで生きていく」っていう、前しか見ていない吹っ切れたスタンスは紛れもなくラッパーですよね。マインドがラッパーであることって凄く大事だと思うんです。スキルなんて後から付いてくるし。

遼 the CP:
さっきの男女ユニットが関係をオープンにしてるって話に繋げて言うと、Elle Teresaもしかり、「彼女たちが呼吸出来るようになった」様が見えるってことかもしれません。だからこそアティチュードが自然だし、そこに魅力が宿ってる。要はかつてのシーンのように、「セクシーアイコン」「男勝りで強い」みたいな二軸しかなかったような女性ラッパー像が、いま、ようやく求められなくなった。ゆるふわギャングが当たり前に「あたしたち付き合ってるから」ってスタンスで出てきたり、Elle Teresaが「男の子きてfuck in my おうち」(“GOKU VIBES”)って歌える…つまり、性的なアイコンとしてじゃなく、自然に実生活の延長として明け透けに語れるみたいな。

この辺りの流れは、彼女たちが以前よりは自由に呼吸出来るようになったことが可視化されたのかなとも思えてきます。最近NiinaやMoeみたいに、ラッパーとの関係を隠さず活動してるモデルがどんどん出てきてるのだって同じ線上の話だと思いますし。

つやちゃん:
そうですね、まさに「女性性」みたいなものがこれまで押し付けられてきた中で、この頃になってようやく彼女たちが「自分」のままで羽ばたけるようになったのが見えてくる。そんな時期かもしれません。それを踏まえて2019-20年頃になると、もう色んなスタイルの女性がどんどん出てくるようになる。個性が花開いた感じがありますね。特に2020年頃からは、新たな潮目としてハイパーポップを中心とした波が目立ちますよね。Zoomgalsとかもその意味で大事だと思います。このグループの存在はやっぱり大きいですね、連帯する強さ。

遼 the CP:
うかつに語ることを許さない緊張感を持ってますよね。さっきまでの話のように「なんか2017年頃から女性のラッパーの流れも良くなってきたじゃん」みたいに…ともすれば安易な締めに入りそうになるんですが、そういう弛緩しそうな奴らに明確に突き付けてきた。「私たちはまだまだ息苦しいんだ、終わったみたいなツラしてんな」と。”生きてるだけで状態異常”に至っては、つやちゃんさんの本書のレビューも含めて非常に辛辣で。

つやちゃん:
valkneeも言ってますけど、元々「フィメールラッパー」ってカテゴリーで中々売れなかったところに、コロナ禍が来てますます先行き見えない不安が出てきた。そんな中で「連帯するしかない」と思い立った、窮地に立たされた彼女たちの切実な訴えなんですよね。

遼 the CP:
あとは、Zoomgalsにも客演していた大門弥生が自分は凄い好きなんです。さっきの話の通り、少しは彼女たちが自由な姿で呼吸出来るようになりつつあって、それに伴い彼女たちが本来の姿で活動するようになってきた。そんな中だからこそ、大門弥生の「誰に強制された訳でもなく当たり前に強い」姿が目立つというか。かつてのような時代の要請にもよらず、「男勝りに強い」とかそういう相対評価にも回収されない。強いから強い。『マッドマックス怒りのデスロード』でフュリオサが当たり前に大隊長であるのと同じ。”まけんな”なんて…重い背景を背負った曲なんですが、センチメンタルになるでもなく、一番のハイライトが「お前はやりたいようにやれ、いくぞ」って超前向きでオラついた一声。

つやちゃん:
そういう意味ではP.254に載っている、West HomiのMaRIとかも強制されていない強さを持ってるラッパーですね。男性を意識した強さ、対抗しての強さとかじゃなく、当たり前に強い。大門弥生と同じく、この辺りは新世代だなって感じがします。

あと…最近の「フィメールラップ」の流れでもうひとつ面白い要素がダンスだと思うんです。男性以上に、女性はラップとダンスがクロスオーヴァーしている。それこそ大門弥生を筆頭に、P.259のMFSやP.264のRIRI(妖艶金魚)はそうだし、P.254のMaRIもダンスシーンとの交流がありますよね。AYA a.k.a. PANDAやEDWARD(我)も過去にダンスをしていた。ダンスのノリっていうのはかなり音楽に影響を与えてるんじゃないでしょうか。加えて、ルーツにバレエがある女性のラッパーもいる。ちゃんみなやCYBER RUI(インタビュー)は昔バレエをやっていた。でも分かりません?MFSを聴くとあぁストリートのダンスのノリが音楽に表れているなって思うし、ちゃんみなやCYBER RUIの作品はMVの世界観含めてバレエ由来の艶っぽさやコンセプト性がある。

「HIPHOPが日本に根付く」とはどういうことなのか?

遼 the CP:
そもそもバレエっていう…一般通念的に割とラグジュアリーなイメージもある趣味をしてたと、普通に語れるようになったこと自体が大きな変化かもしれませんね。もちろん彼女たちはそんな時代性なんて一切気にしてないでしょうが、数十年前のシーンなら、それこそ「あたしは昔から強かった、家は貧しくてストリート育ちだ」以外のありざまを許さない風潮すらあったかもしれない。…「許さない」ってなんやねんって思いますけどね。つまり、「ジョブチェンジしても良いんだよ」ってシーンにようやくなってきた。元々の趣味からドロップしてHIPHOPを始めても良いし、甲田まひるやMANONのように、モデルと兼業でラップしたって全然良い。かつての「HIPHOPに全て捧げるかどうか」的なところから、緩やかに拡張してきている。

つやちゃん:
RIAとかもそうですよね。モデルが、エクスペリメンタルでヘヴィなラップミュージックをやる時代。サウンドを聴いてみれば”Confusion”とか凄く刺激的で。ともすれば、今までだとモデルであればプロデューサーが用意した無難なビートで無難に…とかあり得るじゃないですか。でもそうじゃない。自分がやりたいことを、やりたい音でやってる。めちゃくちゃかっこいい。

遼 the CP:
「カルチャーとしてそこにある」って、実はそういうことなんじゃないかなって気もします。「今日は辛いことがあったからちょっとラップするか」って、色んな仕事をしてる人の生活の隣に、当たり前にHIPHOPがある状態。いつでもそれに頼ることが出来る。カルチャーが根付くって…要は「今日は正月だから餅食うか」みたいな、一種思考の自動化が起きるくらい生活の中にある状態のことじゃないですか。そこに「お前普段は餅食ってないだろ」って言うおもち警察は出てこない訳です。もちろん餅ガチ勢もいて彼らはリスペクトなんだけど、日常のふとした中で日本人はふらっと餅を食べたりお参りしたりする。根付くっていうのは、この、当たり前にそこにあって、いっちょ嚙みで頼られる、頼って良い寛容さを持った存在になるということなのかもしれない。

つやちゃん:
確かにそうですね。本書でも書いてますが、女性のラッパーは自分の推しとか、自分の好きなものを宣言することも多くて。それって「これに救われたんだ」と宣言してる訳で、日常と地続きにラップがある。切実な訴えや日々の好きなものを伝えるためのものとしてHIPHOPがあるっていうのは、そこと繋がる話だと思います。

遼 the CP:
2010年代前半に流行った「SWAG」の概念も、いま振り返ると当時感じた以上に重要だったかもしれませんね。Vネックを誇ったりカレー愛を語ったり、それまでストリート文化と必ずしも直結しなかったものでも「自分が本当に好きなものなら曲で誇って良い」という素地があのとき生まれた。あのスワギズムは何かに繋がってた。

つやちゃん:
今だからこそ、「本当に好きなことを歌う」ことの大切さは認識され直して良いかもしれませんね。ラグジュアリーアイテムを欲しがる話とかは散々出てくるじゃないですか。でも、田島ハルコやvalkneeはもっと違うものを欲しがっている。リアルなものを。

そしてハイパーポップ以降へ。彼女たちの闘いは誰を救うのか。

遼 the CP:
自分の本当に好きなものは確実に自分だけのオリジナルですからね。無理にロレックスや車のことを歌わなくたって良い。…でもこのディスクガイドをなぞるだけで、無限に話が広がりますね。

つやちゃん:
これでも結構絞ったんですよ。基本的には正規流通しているEPとアルバムに絞っているので、シングルだったり、SoundCloudの音源なんかは入れられてなくて。本当はその中でも素晴らしい曲がたくさんある!

遼 the CP:
例えば?

つやちゃん:
それこそドクアノ(Dr.Anon)とか…その一員でもあるe5(インタビュー), あとnateとかも最高ですよね。

遼 the CP:
ドクアノやLilniina(インタビュー)など、最新の女性ラッパーは等身大な感じが更に顕著ですよね。もちろん本人たちは自然にやってるだけなんでしょうが。雑なくくりですが…仮に2000年代のオラオラなラップがクラスのクイーンビーを惹き付けて、2010年代のナード革命がクラスの文系な彼女たちをすくい上げてきたとすれば、2020年代は本当に、そのどちらでもない中間な(?)女性たちも自然にラップをするようになったというか。

つやちゃん:
なるほど、確かに。あと挙げるとすればYoyouとかlIlIとかですかね。

遼 the CP:
異能。

つやちゃん:
類を見ないですよね、彼女たちは。大きく括れば彼女たちもハイパーポップなんでしょうけど、そう安易に表現してしまうことが憚られるような独自の不穏な空気感を持っていますよね。

あとサンクラ系っていう括りだと、前回LEXや(sic)boyは今の10倍売れていいって話がありましたがEDWARD(我)(インタビュー)は今の20倍売れていいと思います(笑) 飛びぬけてる。ラップリスナーだけじゃなく、V系リスナーとかも含めて色んな層に聴かれてほしい。

遼 the CP:
この辺は「私という存在がこれをやりたがってるんだ」と明確に主張しているアーティストたちですね。

つやちゃん:
…大変だ、この感じでいくと10時間くらいずっと話せちゃいますね(笑)

遼 the CP:
まとめに入りますか(笑)

つやちゃん:
総括するとすれば…やっぱりラッパーたちは周囲のリスナーやメディアよりも先んじて変わってきてるなと感じますね。まだ世の中で形になっていないことや言語化されていないものを作品にしている人たちなので、当たり前といえば当たり前ですけど。

遼 the CP:
彼女たちはアーティストだから、何かの主張をアートしている存在で。つまり我々より先んじてるってことは、何かを伝導する存在として、ある種あるべき形にあるというか。でも、これってずっと続いてきたことなんですよね。日本でHIPHOPが本格的に始まって約30年、彼女たちはずっと何かをアートしてきた。この戦いはずっとあったもの。それが今回、『わたしはラップをやることに決めた』が出たことで、初めて体系的に可視化された。

つやちゃん:
やっぱりこうしてディスクガイドを時系列に並べただけでも、時代ごとの流れだったり主張があるのが分かりましたからね。時代があって歴史があるってことは、今よりずっと困難な状況で生き抜いてきた彼女たちの姿があったってことで。

でも一方で、今を生きる女性たちがこの歴史を完璧に理解してHIPHOPやラップに臨まなきゃいけないかっていうと、そんなことは絶対にない。みんなそれぞれが自由に生きて、表現すればいい。その背後にこうした歴史があって戦いがあったことも、もちろん記憶されれば素晴らしいことなんですけど。歴史は歴史として学ぶこともできますが、「いま」は過去の編集と再構築で成り立っているものでもあるので、いまこの瞬間を何かととことん向き合うことで実は「いま」を通して過去を知ったりすることもできるから。その時、初めてもっと「知識として知りたい」とか「歴史として知りたい」という欲求が生まれたら、本書が何かの手掛かりになれば嬉しいなと思います。

遼 the CP:
「独りじゃないよ」と伝える本かもしれませんね。自分も上から「歴史を学ばねばならぬ」みたいなダルいことは一切言うつもりなくて。どこかの誰か…特に女性が、自分の置かれてる境遇への絶望や、自分のやっている音楽への不安を募らせたとき、この本を手に取れば、30年、闘い続けた彼女たちの姿がある。俺が男性の立場から言うことにどれだけの説得力があるのかは分かりませんが、そうした際に、本書の与える勇気ってあるんじゃないかって気もします。あるいは、ふと「自分はなんでいまHIPHOPに関わるようになったんだろう?」って思い立ったとき、この本を手に取ると、自分がHIPHOPを聴くに至るまで、このカルチャーを紡いできた人たちの存在が分かる。これは何かの背骨になることじゃないかと。

つやちゃん:
「わたしはラップをやることに決めた」女性たちがこれだけ…実際はこの本に収めた以上にいた。でも、ほんとは「決める」必要すらないはずなんです。叫びたいことがあればマイクを持って、そうじゃなくなれば自然に普段の生活に戻っていって…シームレスな繋がりで良いはずで。ふとしたときにラップに救われたい。その権利は誰にでも…当然女性にも開かれている。そういうことだと思います。

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2022/03/06
PRKS9へのインタビュー・コラム執筆依頼・寄稿などについてはHP問い合わせ欄、あるいは info@prks9.com からお申し込み下さい。

書誌情報:

『わたしはラップをやることに決めた フィメールラッパー批評原論』
つやちゃん[著]
四六判・並製・280ページ
本体2,200円+税
ISBN: 978-4-86647-162-4
1月28日(金)発売
発行元:DU BOOKS 発売元:株式会社ディスクユニオン
https://diskunion.net/dubooks/ct/detail/DUBK320 

内容:
マッチョなヒップホップをアップデートする革新的評論集!
日本のラップミュージック・シーンにおいて、これまで顧みられる機会が少なかった女性ラッパーの功績を明らかにするとともに、ヒップホップ界のジェンダーバランスおよび「フィメールラッパー」という呼称の是非についても問いかける。

■RUMI、MARIA(SIMI LAB)、Awich、ちゃんみな、NENE(ゆるふわギャング)、Zoomgalsなど、パイオニアから現在シーンの第一線で活躍するラッパーまでを取り上げた論考に加え、〈“空気”としてのフィメールラッパー〉ほかコラムも収録。■COMA-CHI/valkneeにロングインタビューを敢行。当事者たちの証言から、ヒップホップの男性中心主義的な価値観について考える。■2021年リリースの最新作品まで含むディスクガイド(約200タイトル)を併録。安室奈美恵、宇多田ヒカル、加藤ミリヤ等々の狭義の“ラッパー”に限らない幅広いセレクションを通してフィメールラップの歴史がみえてくる。

目次:
日本語ラップ史に埋もれた韻の紡ぎ手たちを蘇らせるためのマニフェスト――まえがきに代えて
第1章 RUMIはあえて声をあげる
第2章 路上から轟くCOMA-CHIのエール
第3章 「赤リップ」としてのMARIA考
第4章 ことばづかいに宿る体温  
第5章 日本語ラップはDAOKOに恋をした
Column “空気”としてのフィメールラッパー
第6章 「まさか女が来るとは」――Awich降臨
第7章 モードを体現する“名編集者”NENE
第8章 真正“エモ”ラッパー、ちゃんみな
第9章 ラグジュアリー、アニメ、Elle Teresa
第10章 AYA a.k.a. PANDAの言語遊戯
Column ラップコミュニティ外からの実験史――女性アーティストによる大胆かつ繊細な日本語の取り扱いについて     
第11章 人が集まると、何かが起こる――フィメールラップ・グループ年代記
第12章 ヒップホップとギャル文化の結晶=Zoomgalsがアップデートする「病み」     
終章 さよなら「フィメールラッパー」     
Interviews
valknee ヒップホップは進歩していくもの。     
COMA-CHI 「B-GIRLイズム」の“美学”はすべての女性のために     
Column 新世代ラップミュージックから香る死の気配――地雷系・病み系、そしてエーテルへ     
DISC REVIEWS Female Rhymers Work Exhibition 1978-2021
あとがき――わたしはフィメールラッパーについて書くことに決めた
解題 もっと自由でいい  文・新見直(「KAI-YOU Premium」編集長) 

著者略歴:
つやちゃん
文筆家。ヒップホップやラップミュージックを中心とした音楽、カルチャー領域にて執筆。
「ele-king」「ユリイカ」「文藝」などの雑誌ほかメディアに寄稿。ラッパーをはじめ、宇多田ヒカルなど幅広いアーティストへのインタビューも行う。

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