インタビュー: AMBR – 夢を脱ぎ捨てて自分になる
初めてMVを撮影した Fucked up がTik Tokでバズって即100万再生を突破、その後も曲を出す度にバズを生み出し、上京後はSHO-SENSEI!!らと活動を共にし絶好調…。AMBRのプロフィールを表面的に捉えると、そこには時流を捉えた華やかなワードが並ぶ。しかし裏に潜むのはこれまでの孤独で地道な努力、そして曲を昇華する為のアートへの真摯な姿勢だ。
「俺は16-17歳くらいでラップを始めた時の、曲をアップしても100回とか200回とかしか聴かれない、自分の周りの人しか聴いてくれないって時期を通ってきてる」
「自分は幼稚園の時から『夢』って持ったことなくて。でも忌野清志郎を聴いた時に『別に無理しなくていいな』って解放された」
今回PRKS9からMVを公開した”ZERRY”は、天性のメロディセンスを存分に発揮しつつ、そんなAMBRのこれまでの生い立ちや心情もリリックに忍ばせた1曲だ。この曲に繋がった背景は何か、それを背負ってAMBRはどこに向かうのか。”ZERRY”のMV撮影を終えた直後のAMBRに話を聞いた。
登場する主なアーティスト(順不同):
忌野清志郎, THE BLUE HEARTS, THE TIMERS, 國枝真太朗, 唾奇, SHO-SENSEI!!, 10PM, NF Zessho, ZIMA a.k.a. ZiiFlex, SHuN-BOX
─本日はよろしくお願いします。
AMBR:
よろしくお願いします、AMBRです。歳は二十歳。出身は石川県で今は東京に住んでいます。最近は音楽をずっとやっています…もう音楽一本ですね。
─そうなんですね。いつから音楽一本の生活になったんですか?
AMBR:
“Fucked up”がヒットしてからですね。MV出したのはそれが初めてだったんですけど、そこからはもう音楽だけでやってます。
─なるほど。HIPHOPを始めたきっかけは?
AMBR:
ずっと16歳からストリートで遊んでいて、音楽も友達が遊びでやっていたので始めました。その時は石川にいて石川の友達とやっていて。曲作りたいなとなと思って、このビートでいいかってのを探して…そんな中でパッと作ったのが”Fucked up”です。真面目に曲を作ったのはあれが初めてでした。
それまではあまり音楽に真剣に向き合ったことはなかったんですけど。
─元々はどういう音楽を聴いて育ったんですか?
AMBR:
高校はHIPHOPを聴いて育ったんですけど、小中は親父が好きな曲を聴いてましたね。それがTHE BLUE HEARTSや忌野清志郎で…懐メロ系をずっと聴いていました。元々そんな感じだったんですけど、HIPHOPはいつの間にか好きになってました。ストリートに出るようになった2015年、2016年ぐらいから聴き始めた感じですね。
─最初にハマったアーティストはいますか?
AMBR:
最初にハマったのは唾奇くんでした。だから今回國枝真太朗さんがMeet in the Parks9の企画をするって聞いて応募しました。唾奇×Sweet Williamの”Made My Day”の歌詞に(國枝真太朗の名前が)出てるじゃないですか。それもあってディレクターとしての國枝さんのお名前は知っていたので、これだと思って。
─唾奇さんの曲の中で特にどの曲が刺さったんですか?
AMBR:
特に”道-Tao-“に喰らいました。それで自分もそういう系の音楽を作りたいと思って…気付いたら友達もそういうノリでしたね。ただ、遊びで曲作りしてた程度なのであんまり外に出したりはしていなくて、たまにSoundCloudに上げてたぐらいでした。
https://youtube.com/watch?v=tWFUNJE4pPU%3Frel%3D1%26hd%3D0
─その時の音楽性は唾奇さんを意識したものだったんですか?
AMBR:
最初は唾奇くんを意識してBoom Bap系をやってました。歌う感じでもなく、歌うとしてもフックだけみたいな感じですね。唾奇さん好きだったので最初は真似していました。
─AMBRさんにとって何がそんなに刺さったんですか?
AMBR:
純粋にカッコいいって思いました…“道-Tao-“のサビがカッコいいなって。その世界を全然知らなかったんですが、初めて刺さったのは唾奇さんですね。
─それ以降は何を聴かれてたんですか?
AMBR:
入口が唾奇くんだったので、そのままPitch Odd Mansion周辺を聴いてましたね。NF Zesshoくんとかも聴いてました。
─なるほど、今のEmo Rap寄りなスタイルからすると少し意外ですね。いつ頃から今のスタイル…TrapやEmo Rapが好きになったんですか?
AMBR:
(同じ石川の)ZIMA(a.k.a. ZiiFlex)さんと遊ぶようになって変わりました。それくらいの時に2人でノリで曲作って…ノリでMV出したのが”I Don`t Give a Fuck”でした。
─スタイルチェンジしたのもそのとき?
AMBR:
そうです。友達と遊びで曲作るって感じだったんですが、作っているうちにこのスタイルが自分が合っていると思い始めて。ノリでスタイルをチェンジしたというより、自分にフィットするので必然的にこうなったという感じですね。
─逆に言うと、Boom Bapな時は楽しみつつも何か違うなというのはあったんですか?
AMBR:
なんか違うなって感覚がありましたし、自分の曲にも納得いってなかったです。そんな中で初めて自分の曲で納得できたのが”Fucked up”だったんです。だからこの曲のMVを撮ろうと思いました。
─結果的に”Fucked up”は2019年11月に発表されると、バイラルで大ヒットしてすぐに100万再生を突破しました。このMVを作ろうと思った時の経緯を教えて貰えますか?
AMBR:
あれは金沢にいた時なんでSHuN-BOXに作ってもらいました。SHuN-BOXもラッパーなんですけど、ミックスもマスタリングできるのであいつのところでレコーディングさせてもらって。そのままビデオも撮ってもらった感じですね。
─曲の制作はノリだったと思うんですが、手応えはあったんですか?言い換えると「この曲は100万再生いくだろう」という自信というか。
AMBR:
そうですね…「ヤバい、これはいいな」って思いました。初めて自分で納得出来た。やっぱりスタイルを変えたのがバッチリハマった曲だったし…もちろん今ならもっといけると思いますが、当時はそういう手応えがあったのが衝撃でした。だから自信はあったし、SHuN-BOXと「これ10万再生くらい行くんじゃない?」みたいなことは言ってました。で、いざ出してみたら思った以上に伸びまくって…ここまでいくとは正直思ってなかったです。とにかく予想外に良い感じになったんで、じゃあこの勢いで上京しようと思いました。
─”Fucked up”のMVは普通に撮って上げただけ?何かマーケティングや広告は考えていたりしたんですか?
AMBR:
全く何も考えてなかったですね…その時は別に売れたいと思って音楽やってなかったので。自分の周りではMVって身近に上げている人がいなかったので、あまり身近なものではなかったんですけど、とりあえず撮るかってなって上げた曲でした。いざ出してみたら最初はTikTokでバズりました…というかバズったみたいです。実はTikTokで自分の曲聴いたことなくて笑
アーティスト側だと使われているのを把握出来ると思うんですけど、あまり興味なくて調べてないです笑
とにかくあれが当たったのは運が良かったと思います。カッコ良い人はいっぱいいると思うんですけど、広めるのが難しいと思っていて。自分は何もしていないのに広まったから、本当に嬉しいですね。
─ご自身で広まった要因など、どう分析してるんですか?
AMBR:
うーんどうでしょう…THE BLUE HEARTSのサンプリングですかね。THE BLUE HEARTSって日本人のヒーロー感があると思ってて、ハマったのでサンプリングさせて頂きました。“Fucked up”は曲の中で不満とかを歌ってますけど、最後にあのTHE BLUE HEARTSのフレーズでキャッチしてる…みたいな構成が良かったかもしれないですね。
─あの曲でバズって「HIPHOPで行けるな」と思った?
AMBR:
そうですね。音楽好きだし、もっと真面目にやろうと思いました。それで2020年3月に東京に出てきたんですけど、出てきた時から(行動をよく共にする)SHO-SENSEI!!とはインスタで繋がってたんです。
“Fucked up”がまだ2万回再生ぐらいの時に、SHO-SENSEI!!をたまたま聴いていてこの人ヤバいなと思ってフォローしたんです。そしたらSHO-SENSEI!!からDMが返って来て、「今日”Fucked up”聴いてました」って言われて。お互いに相手の曲を聴いていたのは、やっぱりフィールするものがあったと思います。加えて当時のSHO-SENSEI!!はTrapメインでやっていたんですけど、Emo Rapをやりたいと思っていて気が合った感じです。SHO-SENSEI!!はエモのイメージが欲しくて、自分は東京での繋がりが欲しかった。フィールするのは大前提で、その上互いの利害も一致したので、2人でやっていこうよとなったって感じです。そんな感じで上京した時からSHO-SENSEI!!の周りといっぱい繋がれたんで、東京ではあまり苦労しなかったです。だから今回の”ZERRY”のスタッフとして参加してくれたスタイリストのイオリさんや、ヘアメイクのハヤテさんもその繋がりです。
─2019年11月に”Fucked up”を発表して、翌3月には上京…凄いスピード感ですね笑 SHO-SENSEI!!さんとの話でEmo Rapの件が出てきましたが、このジャンルで影響を受けた人はいるんですか?
AMBR:
いろいろ影響を受けているとは思いますけど…特定の人はないです。今はUSも日本もどっちも聴きますし、どっちもカッコ良い人がいるので固定で好きなのはなくなったって感じで。もちろんLil PeepもXXXTentacionも好きですし、みんな好きです。もっと言えばNLE ChoppaやA$AP Rockyなども含めて…もちろん好きの度合いは違いますけど、色んなスタイル全部聴くって感じなんですよね。だから一番は決められなくて…全部の音楽を聴いているって感じです。
─そんな広い音楽観の中でEmo Rapを選択したのは、自分に合っていたからだと。
AMBR:
そうです。“Fucked up”のMVのコメント欄を見ていると、自分の強みや弱みが分かってきたりもして。自分の強みって声が綺麗なところだと思っていて…それを使えるジャンルで戦いたいし、その方が絶対に良い曲が出来ると思っています。
─Youtubeのコメント欄も結構見るんですね。
AMBR:
毎回通知が飛んできますからね。でも自分は…悪いコメント書いてる人たちに対してもマジで「聴いてくれてありがとう」って感じなんですよ笑 これは別に皮肉とかじゃなくて、俺は16-17歳くらいでラップを始めた時の、SoundCloudに曲アップしても100回とか200回とかしか聴かれない、自分の周りの人しか聴いてくれないって時期を通ってきてるんで。その頃からすると、なんにせよ聴いて貰えてるってだけでありがとうって思います。アンチなコメントが付いても、誰もコメントしてくれないような状況よりはよっぽどありがたいです。たまに参考になる意見もあったりもしますからね。
─なるほど、そんな中でつい先ほど新たなMV ”ZERRY”の撮影を終えた訳ですが、國枝真太朗さんとの撮影はどうでしたか?
AMBR:
めっちゃやりやすかったです。やっぱ「めっちゃやり慣れてるなー」ってのが分かると言うか、ディレクションも凄く分かりやすいし、撮影も時間通りに終わるしっていう。なんか「こういう絵が欲しい」っていうのが分かって撮ってるのが伝わるというか。自分は唾奇さんが大好きだっていうのもあって國枝さんに撮って欲しいと前々から思ってたんで。今回の(Meet in the Parks9の)募集を知って速攻で応募しました…そこから選ばれて超嬉しいです。
─この曲について掘り下げていきましょう。まずはタイトルの”ZERRY”の由来は何なんですか?
AMBR:
これは忌野清志郎さんが由来です。忌野清志郎さんはRCサクセションにいましたけど、変名グループとしてTHE TIMERSがあって。そこでの忌野清志郎さんの名前がZERRYで、そこから取っています。だから2Verse目で「Hey hey we’re THE TIMERS」ってリリックがあるのも、忌野清志郎がRCサクセションでテレビ番組に呼ばれたときに勝手にTHE TIMERSとして出てきて放送事故になったことがあって…そのときに最初に歌った”タイマーズのテーマ”からサンプリングをしてます。
─じゃあ曲の内容はいわゆるバッキンザデイズものですが、忌野清志郎さんの存在が大きな役目を果たしている?
AMBR:
そうです、初めてZERRYって人を聴いた時の自分の心境、それによって変えて貰った自分の姿を描いています。やっぱり当時忌野清志郎さんに凄く救われたので。HOOKの「ぶら下げるだけの夢ならばどこかに置いて…」ってリリックも、当時別になりたくもないものになろうと無理やり夢を持っていた自分を解放してくれた、そんなときの心情を歌ってます。自分は小学校の時から…もっと言えば幼稚園の時から「夢」ってほんとは持ったことなくて。それくらいの子供って無邪気に「○○になりたい」って言うじゃないですか。でも自分はほんとにそういうのがなくて、周りが言ってるから自分もとりあえず言っとくか、みたいな感じだったのを覚えてます…結構子供として冷めとったんかな。そこから忌野清志郎さんを聴いた時に「別に無理しなくていいな」って解放された感じを凄く覚えてるので、そのときの心情ですね。だから「あてのない旅をもう一度…」って歌ってる通り、いらない夢を脱ぎ捨てた時の曲であって、ラッパーになることを志したときの曲とかってことではないです。
─ロックの影響がめちゃくちゃ大きいんですね。当時はそこから「ロックをやろう」とはならなかったんですか?
AMBR:
実際やろうとしてました、高1のときですかね…「THE TIMERSみたいなのやろうよ」って感じでボーカルやってました。まあそこまでガッツリ組んだ感じではなかったんですけど。でも集団行動が苦手やったんで笑、無理やなと思ってやめて…そこからはHIPHOPに出会うまで何もしない時間が続く感じでした。だから自分の音楽表現としてはHIPHOPなんですけど、背景としてはロックの影響がめちゃくちゃデカいです。
─ロックの影響なのか、AMBRさんの歌詞ってどこか虚無的ですよね。「死んだように生きるくらいなら死んだっていい」(“Stay Young”), 「ぶら下げるだけの夢ならばどこかに置いてあてのない旅を」(“ZERRY”)みたいな、生き方にバッサリした切り捨て感があるというか。
AMBR:
そうですね、歌詞は一見明るく見えるけど、同時に悲しくも聴こえるように意識して作ってます。あえてシンプルな言葉を使ってるのでそのまま明るいものとして聴いて貰っても全然良いんですけど、よく読み込んでみると悲しい側面が出てくるようにしてます。伝わる人には伝われば良いかなと。どんな楽しみ方をしてもらっても良いです。
─実際のところ最近の心境はどうなんですか?ネガティブに入ることも結構ある?
AMBR:
最近はずっとポジティブな感じですね、東京に来てから楽しいっす。だから毎日忙しくて病む暇もないし、やりたいことやってますね。もちろん瞬間的に思ったことを書くと悲しい側面が出てきたりするときもありますけど。”ZERRY”に関して言えばあくまで当時の心境を思い出して書くとそういう裏の悲しい側面がある、っていう感じなので。いま自体は超楽しいですよ笑
─初のEP『PLASTIC TAPE』(2020年)も好調でしたもんね。
AMBR:
そうですね、反響はめっちゃデカかったです。ただあれが3月1日リリースで、ちょうど新型コロナウイルスの影響が深刻になってきたときだったんで…ライブとかはあんまり出来なかったんですよね。インスタでみんなからのDMやメンションで反響を見てました。
─『PLASTIC TAPE』は”Fucked Up”のヒットを受けて速攻で制作した感じですか?
AMBR:
そうですね、あの曲が(2019年11月にリリースして)バズったんで「今のうちに作るか」と思って…SHuN-BOXのとこでRECして、まだ石川にいる間に完成させました。それで3月1日にリリースして、3月のうちに東京にやってきたって感じです。
─スピード感がエグい笑 そうすると今回の”ZERRY”しかり、東京に来てから作った曲はまだあまり世に出てないんですね。
AMBR:
そうですね、でもストックはかなり溜まってるんで。色んなプロデューサーさんと組んで、今後の作品に向けて動いてます。例えば17歳の10PMくんって三重在住のプロデューサーがいて、彼とも作ってます。
─10PMさんは最近名前を見掛けるようになった新進気鋭な方ですよね。どうやって繋がったんですか?
AMBR:
いきなりDMで「これ聴いてください」って10曲くらいビートが送られてきました。そういう「自分のビート聴いて下さい」みたいな連絡って結構来るんですけど、その中でも一番良くて。元々SHO-SENSEI!!とは仲良くしてて自分もうっすら知ってたくらいだったんですけど、それをきっかけに繋がりました。10PMは日本では全然まだ知られてないんですけど、USのみんな知ってるラッパーとかと色々繋がって動いてる存在です。まだ高校生なんですけど、完全に世界を見て動いてる感じですね。でもそんな繋がりを持ってながら全然天狗にもならないし、凄い奴です。
─凄い存在ですね…その他にも色々制作予定はあるんですか?
AMBR:
SHO-SENSEI!!とはコラボEPを作ってます。加えてZIMAくんともコラボEPを作ってますね、まだ詳しいリリース時期とかは決まってないんですけど。あとは今後、一緒にやってみたい人も色々います。
まずはYoung Cocoくん。やっぱりアーティスト目線で聴くと分かる凄さがあるというか、「そんなこと出来んやろ普通」みたいな乗り方が超ある。あとはTohjiくんも好きやし、vividboooyくんとかとも、一緒にやってみたいなと思いますね。
客演曲も色々とヤバいのが出る予定ですし…とにかく今後はどんどん東京や色んな場所の人と曲やりたいですね。それじゃないと東京に来た意味ないし…上京してすぐにコロナで活動に影響喰らっちゃったんで、これから取り戻していきたいなと。あとは早いとこもう1本くらい、MV100万再生突破したいですね笑
─ありがとうございました。
https://www.youtube.com/embed/_s46IFPGCKA?rel=1&hd=0
アーティスト情報:
AMBR
石川県出身。
2019年11月、自身初の名義作品としてMV化した”Fucked Up”がTik Tok経由でバイラルヒットし、即座に200万再生を突破。
その後も”STAY YOUNG”など数十万再生のヒット曲を連発すると、2020年3月に1st EP『PLASTIC TAPE』をリリース。
石川から東京に拠点を移して以降は主にSHO-SENSEI!!と活動を共にし、Sekaiseifukuyametaが統括するYoutubeチャンネル・。airplaineモードにするを主軸に活躍の場を広げている。
コメント ( 0 )
トラックバックは利用できません。
この記事へのコメントはありません。