Column/Interview

2021年1月15日、伝説的クルー・SCARSのメンバーであるSTICKYの訃報が知らされた。多くの関係者やリスナーがその死を悼み、現在も氏の楽曲の素晴らしさを説いている。STICKYの遺した音楽をただ歴史の中に埋もれさせてはならない──その思いは近しい方々やリスナーの、きっと共通した願いではないかと思う。本稿は故・STICKYの過去のディスコグラフィを仔細に振り返る記事でもなければ、ましてやアクセス稼ぎの噂話を語る記事でもない。ただただ氏の急逝を悼み、川崎市川中島をフッドに吐き出したそのラップが日本のHIPHOPにどんな影響を与えたのか、残したものは何だったのか。その音楽的遺産をきちんと日本のHIPHOPの歴史上にマークする為のものだ。






─「俺はただ金儲けがしたい」(“SCARS” 『THE ALBUM』)

そのシンプルな目的に基づくSTICKYの音楽が、どれだけそれ以上のものをHIPHOP史に残したか。
本稿を通じ、当時を知るヘッズから今回の訃報で氏を知った新たなリスナーまで、様々な方にその意義と功績を伝えることで、STICKYの作品に改めて触れる機会となれば幸いだ。


─「薄汚ねえ金ポケットの中 血で汚れたイエローティンブーツ ストリート暗黙のルール 文無しになるか金持ちになるか、結局は二つにひとつ」(“YOU ALREADY KNOW”『THE ALBUM』)


ハードだったストリートの世界から離れ、いまのSTICKYがどうか安らかでありますように。
ご冥福をお祈りします。


 SCARS登場以前の日本のHIPHOPシーンとは?

彼の功績をきちんと知る為には、まずSTICKYの所属したSCARSがどのようにHIPHOP史を更新したのか整理する必要がある。
SCARSの提示したHIPHOPはハスリンラップ、いわゆる広義での「ハードでストリートな」HIPHOPの流れに類するものだった。

こうしたストリートラップはもちろんSCARS登場以前より日本のHIPHOPに根付いている。
系譜として最も古いところで言えば、主に1990年代前半に音源を残したCRAZY-AGANG-Oといったアーティストは、初期から違法な取引の様子や仲間が死んでいく自らの環境をラップしていた。


(1分5秒辺りから”ファッカーディーラー”(『The Best Of Japanese Hip Hop Vol.4』(1996年)収録))

その後ハードなラップの代表格と目されたのが当時のZEEBRAが提示した『BASED ON A TRUE STORY』(2000年)や、その流れを受け継いで発表されたキングギドラ『最終兵器』(2002年)だろう。
これらの作品でZEEBRAはストリートに生きること、「タフでハードコアな男とはどういうものか」を、ガナりたてるアグレッシブな声色とフロウ、そしてテレビにも登場するその佇まいで示して見せた。

もちろん当時のZEEBRAの作品はハスリンが主題ではなく、かつ現代のイメージから捉える(いわゆる現場的でライブ感のある)ストリートラップとは異なるのだが、広義に「ハードでストリートなHIPHOPがどういうものか」という外観を世間に対して形作った作品として、この文脈に含めておく必要がある。

それと時を前後して、現代的なハスリンラップの鋳型を提示したのが妄走族MSCだ。
特に2002年の『帝都崩壊』でシーンに登場し、続く『Matador』(2003年)で一気にアンダーグラウンドのスターになったMSCは、漢 a.k.a. GAMIやO2のリリックに代表される、取引のリアルな現場感や生活感を曲に持ち込んだ。
彼らの登場により、キャラとして悪い奴がラップしているからハードコアなのではなく、悪い奴らがリアルな現場を生々しく描写するからハードコアなのだという、写実的なHIPHOPイズムが加速することになる。
このリリシズムの転換は、後述するSCARSに比肩する革命だと言える。




 SCARSによる「弱さ」の革命

そんな「写実的」という武器を手にした「ハードでストリートなHIPHOP」の潮流で登場したのがSCARSだ。
まずは故・DEV-LARGEのK DUB SHINEへのDISソングが収録されているとして一気に話題沸騰した当時新進のプロデューサー・I-DeAのアルバム『self expression』(2003年)に収録されたSEEDAの”Whoa”がヘッズに衝撃を与えた。
(SEEDAは以前にもSHIDA名義で『Detonator』(2001年)や、SEEDA名義での『Flash Sounds Presents Ill Vibe』(2003年)をリリースしていたが、全国的な知名度を得たのはこの”Whoa”が契機だった)



その後SEEDA名義では初となるフルアルバム『GREEN』(2005年)でシーンの評価を不動のものとし、そのSEEDAが所属しているクルーとして『THE ALBUM』(2006年)を遂に撃ち込んできたのがSCARSだ。

彼らの革命は一種の「弱さ」にあった。
これまで紹介してきたGANG-OやZEEBRA, MSCといったそれまでの日本のハードコアなアーティストは、ラップスタイルやストリートへの光の当て方こそ違えど、「俺はタフだ」という一種のマスキュリニティは土台の部分で共通していた。
それはHIPHOPがボースティングを内在する音楽であり、「カッコ良い自分」を見せることを主眼に置くと自然な流れだ。
(そしてもちろん、そのスタイルだからこそ、これらのアーティストは魅力的だった)

この流れで確かにストリートなラップとして登場したSCARSもタフな様を見せつつ─しかし、弱さや繊細な内面を包み隠さず吐露して見せた。


─必死で働きI GET MONEY そのあとはI GET HONEY (中略) でも人生は辛いことばっかり (A-THUG “PAIN TIME”『NEXT EPISODE』)


この「弱さを見せる」こともアリにする価値転換により、ハスリンラップの底が一気に深まった。
そこにあるのは無敵でディールを円滑に進めるダークヒーローではなく、明日の生活や日々のハスリンのいざこざに苦しみ悩みぬく、1人の人間たちが描写されていた。
(ヤバい仕事に悩みあがく曲としてはそれ以前にも妄走族”まむし”(『Project妄』(2003年)収録)などがあるが、この曲はあくまでフィクションだ)

こうした人間描写・心理描写の深化がラップで可能になった革命は、(今とはやや違う意味合いで)「エモい」と称されムーヴメントを巻き起こした。
その筆頭にいたのがSCARS。
だからこそ彼らは革命であり、2006年以降のシーンはSCARSが主役だった。


 「STICKY」とは何なのか


─仲間って何?素朴な疑問 (中略) 相手側には昔の仲間 酷い話だ、繰り返すの?また同じ話を… (“DEAR  MY FRIEND” SCARS『NEXT EPISODE』)


SCARSの特色がその内面描写だったと定義したとき──ハスラーとしての苦しみや悩み、その上で光を示して見せる──その特色を最も体現して見せたのがSTICKYだ。

端的に言ってしまえば、STICKYのラップの特色、そして日本のHIPHOP史における偉大さは、この「SCARSの革命」を濃縮・抽出した存在だったことにある。
もちろんこの「エモさ」を備えた心理描写は他のメンバー…特にSEEDAやBESなどにも共通して見て取れる。
例えば悔恨を抱き我が子に痛切なメッセージを投げ掛けるBES “On A Sunday”(『Rebuild』(2008年)収録)などはその代表例だろう。

しかしSTICKYは、この不安や苦悩の吐き出し方の順序が他のメンバーとは異なる。
他のメンバーが多面的なトピックを綴る中のひとつの選択肢として「苦悩を見せる曲」というオプションを持っているのに対して、STICKYはこの苦悩こそがスタンスのベースになっている。
苦悩を抱えている「が光を見据える」曲、苦悩を抱えている「ので絶望する」曲、苦悩を抱えている「が強さを見せる」曲…STICKYのラップの土台はそこにあった。
例えばBRON-Kとの“タマには”は、STICKYには珍しく穏やかな光が射す日中の情景を歌い、プレッシャーから解放された日がある幸せを噛み締める1曲だ。
それでも曲中には、テーマであるはずの解放感よりも切迫感ある言葉の方が多く並ぶ。


─ポジティブなバイブスよりネガティブが体に染み込んでる パラノってる マイペース上手くやってみせる (中略) 自信はあるけど不安もある(“タマには”『WHERE’S MY MONEY』)



ハスラーがこうした不安や苦悩を深く持ち、それをノンフィクショナルに本人が吐露してみせる。
ここにSTICKYというアーティストの功績が詰まっている。
ダークでヒロイックなキャラクターとは違うハスラー像を示して見せた、日本のHIPHOP史におけるSCARSの功績──STICKYはその中核だった。

そうして「ネガティブが染み付いた」スタンスから生み出される楽曲は数々の話題を呼んだ。
代表的なところで言えば、SCARSの内紛を曲にしてあえてクルーのアルバムに収録した“曝け出す”(SCARS『NEXT EPISODE』)などは筆頭だろう。

加えてSTICKYの数多の曲に登場する「裏を勘ぐる」「またダチが俺を裏切る」といったリリックは彼を象徴するフレーズとなった。
あまりに多くの曲に登場することでリスナーの耳にこびりついたフレーズだが、嘘偽りなく吐露する彼がそれだけ多用した、その裏にある苦悩やそれを土台にしたアートスタンスはいま振り返ると示唆的だ。

そんな土台の上で「金、金、金っていつもすいませんね…」(“Where’s My Money”『WHERE’S MY MONEY』)と語るSTICKYだが、その上に確かなリリックの美しさ、そしてそれでも前を向こうとするHIPHOP的にポジティブなエネルギーを携えていたことも特筆すべき点だ。


─子供が出来た、最近よく聞く…俺らも大人になった 見上げた夜空、厚い雲のかかった星のない空 煙突から噴き出した火が真っ暗な闇を赤く染める (“DAY N NITE”『WHERE’S MY MONEY』)



─余裕ぶってても陰で努力 やりたいことあったけどとりあえずこなした目の前の仕事 日々の生活に追われ、疲れた体で踏み出した一歩 (“終わりなき道” 『WHERE’S MY MONEY』)



こうして弱さや苦悩を見せることを躊躇わないことでストリートにおける「リアル」を示して見せた、そのラップ哲学は今に至るまで確かに息づく。
舐達麻owlsに連なる現代のストリートラップにもこうした「自分の心をそのまま見せる」リリシズムが根付いているのは、(本人たちの意識的な影響かどうかはともかく)系譜的バックボーンとしてSCARSが、そしてSTICKYが2006年に築いたベースが確かに受け継がれているからだ。

─DELTA9KID(舐達麻)「大麻がどうとか言ってるから、ワル自慢してると思われる方もいらっしゃると思うんですけど、全然そんなことないんです。日常のことをただ歌ってるだけなんで。ただ一生懸命、自分に向き合ってます」(ナタリーインタビューより)

日本のストリートなHIPHOPの表現をあらゆる面でアップデートしたSCARS。
そのリリック的側面の中核を担ったSTICKYに心からの感謝を。
どうかストリートのしがらみや勘ぐりから離れ、今が安らかでありますように。


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2021/01/17 Text by 遼 the CP

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