Column/Interview

1990年代後半。
日本のHIPHOPは記念碑的イベント・さんピンCAMPでMUROが「こんなシーンを待ってたぜ!」と叫んだ通り、シーンとしての骨格を確かなものとした。

その熱量から多くの名曲が生まれ、間違いなくHIPHOP史におけるハイライトのひとつに数えられるこの時期について、当時のプレイヤーたちが語る場はこれまで数多く持たれてきた。

しかし「後輩世代」、すなわち当時のプレイヤーに憧れ、その下でマイクを掴んだ者たちの目には、当時の景色はどのように見えていたのだろう?

今回PRKS9では、熱烈なヘッズでもあるサイプレス上野とMEGA-Gに、「後輩世代」から見上げた景色を語ってもらった。

コンプラだらけの会話の中から見えてきたのは、当時のシーンの確かな勢い、トッププレイヤーたちへのリスペクト、そしてなればこそのしがらみ、閉塞感…。
リスペクトを大前提に、90-00年代をストラグルした2人だからこそ出来る、これはもうひとつの証言だ。

故・MAKI the MAGIC, BIG-Oとの思い出


─本日はよろしくお願いします。
 UBG練習生としてキャリアを始められたMEGA-Gさん、そしてキエるマキュウとLB Nationの最後のメンバーであるサイプレス上野さん…このお2人から見た90-00年代のお話を伺おうというのが今日の主旨です。

サイプレス上野:
よろしくです、そう、まず俺ってLBのメンバーなんだよね。
まあ何も動けてないし…LB自体はまだあると思うんだけど、メンバーすらも(LBとして活動してると)思ってないと思うんだけど笑

キエるマキュウもそうなんだよね、メンバーなんだけど、よく分かんない笑
元々…まだマキさん(=MAKI the MAGIC, 2013年に逝去)がご存命の時に、俺、マキさん、クリさん(=CQ)で大阪の仕事から帰るときがあって。
そしたらマキさんがいきなり「クリちゃん、上野はキエるマキュウだよな」っつって笑
クリさんも「おーそうだな」みたいな。

MEGA-G:
ヤバい、適当過ぎるでしょ笑

サイプレス上野:
そのまま「上野、お前はマキュウだよ!」って言われて入ったんだよね。
で、新幹線の駅で、大阪の551あるじゃん、肉まんで有名な。
マキュウ入った瞬間にあれ買いにパシらされたんだよね笑
で新幹線乗って、降りて別れるときも「じゃ、お疲れー」みたいな感じで。
「マキさん、俺マキュウに入ったんですよね?」って確認したら「おー上野はマキュウだよ」って。

MEGA-G:
もう絶対嘘じゃん笑

サイプレス上野:
マキさんが亡くなったときの追悼イベントには出たけど、別に何もマキュウとしては動いてない笑
未発表曲もないし、サイドキックもしたことないからね笑
(Illicit)Tsuboiさんも俺のことは知ってるけどマキュウだとは思ってないと思う、別に新生マキュウみたいなのも生まれなかったし笑

MEGA-G:
俺もマキさんと(MSCの)PRIMALと居酒屋で飲んでたとき、マキさんに「シークレットサービスってユニット3人でやるぞ!」って言われて、「絶対やりましょう」って言って…ちなみにDJはジンさん(=DJ JIN)もう誘ってあるからさって言われて笑
それでビートも3曲くらい送られてきたんだけど…結局何も起こらなかったな。
結局どのビートもマキさんの追悼アルバム(『DEDICATED TO MAKI THE MAGIC MAGIC MAGIC MAGIC』(2014年))で使われてて笑

サイプレス上野:
あの頃はもうそんなノリだったよね。
俺もマキさんと曲やることになって…すげーいいビート聴かせてもらってたんだけど、「お前と吉野は三角木馬に乗ってからが本当のスタートだ」とかなんか言われてて…意味が分かんないんだけど笑
それでなんか止まってるうちに、そのビートも別のに使われてたな笑

─マキさんもお亡くなりになりましたし、最近だとOSUMI a.k.a. BIG-Oさんも逝去されましたね。
 BIG-Oさんもお2人の上の世代ですが、最初はどうやって知りました?

サイプレス上野:
初めて知ったのは、当時のFINEって雑誌にファットジョー大隅として載ってたのを見たのが初めてかな。
ほんと体が大きい人がいるなって思って、相当(ストリート界隈で)インパクトあったんだ。
まずオシャレだったし…確か「ドイツ製のヘッドホンを付けてる」とか書いてあって。

MEGA-G:
間違いないね、「何なのそれ?」みたいなインパクトがあった。

─自分はリアルタイム世代じゃないのであれなんですが、FINEって当時のストリート界隈はみんな読んでたんですか?

サイプレス上野:
そうだね…というか俺らガキはそれしか情報源がなくて。
メインはサーフィンとかを扱ってた雑誌だったと思うんだけど、HIPHOP界隈の人が持っている道具が特集で載っていたりして、それで流行りを知るって感じかな。

MEGA-G:
間違いない。
それでGLOW IN THE DARKとかDJ’S CHOICEとか知って…渋谷、原宿、代官山のHIPHOPの店に買いに行く、みたいな。

サイプレス上野:
俺は当時中2,中3くらいで、神奈川の戸塚の田舎から東京まで買い物に出ていて…ヘッズだからさ。
その時に怖かったのがマキさん笑

後輩世代が感じた、当時のピリついたシーン


MEGA-G:
というかあの頃のプレイヤーの人たちはほんとにみんな怖かったよね、ピリピリしてた。
ここじゃ言えないようなオフレコもいっぱいあって…挨拶代わりにラリアットされたり、関節技決められたりみたいなことはいっぱいあったな。

サイプレス上野:
思い出したくないエピソードいっぱいあるよね笑
俺もラップ始めてしばらくしてから、自分のライブ終わりに先輩に挨拶しに行ったら「ていうか俺、お前のこと嫌いなんだよね」っていきなり言われるみたいな笑
やっぱ後輩世代の中でもメガやんは温和で優しいし、俺は「お前ってお笑いだろ?」みたいな扱いだったりしたのもあって、先輩からのガン絞めは相当喰らってた方だと思うね。

MEGA-G:
あの頃の渋谷はマジでめちゃくちゃだったよね…俺もライブ終わりに「俺、お前嫌いだったけど今日認めてやるよ」みたいなのあったな笑
もう俺ら世代は耐えろ!みたいな感じで笑
上のプレイヤーの人たちはHIPHOPブームが来て超楽しかった頃だと思うし、その勢いはあったんだろうな。
「お前にとってのHIPHOPってなんなんだよ」って詰められるとか超あったもんね、あとフリスタの強要みたいな笑

だからそういう意味で言うと、OSUMIさんはそんな中で後輩世代にもほんとに優しかったんだよね。
いつも嫌な顔せずに話聞いてくれて、サインや写真もほんとに気さくに対応してくれて。

サイプレス上野:
色んな人が話してる通り、ほんとに温和だったよね。
一方でヒデボウイさんは当時のピリピリ感を纏ってて…クールで近づきがたい雰囲気があってカッコ良かった。
でもシャカの人たちは本当にみんなオシャレだったんだよね。
ヒデボウイさんもミリタリーグッズの使い方とかオシャレで、いち早くカート(*)咥えてたりして。
(*中東~東アフリカを中心に嗜好用として利用される木。噛むと高揚感などの覚醒作用を得られる。日本では非規制)

MEGA-G:
そうだねー、俺、真冬にアルタ前歩いてたときにOSUMIさん見掛けたんだけど、真冬にすっげー短パン履いて、上は超分厚いダウンで、スノボみたいなミラーグラス掛けて立ってたんだよ。
完全に先行ってたし、めちゃくちゃ目立ってたんだよね。

サイプレス上野:
ある意味それがラッパーらしさなんだろうな。
俺もアルタ前のフルーツ屋でなんかデカい果物買って手に持ったまま人を待ってたら、「サ上が謎の果物持ってるw」みたいにSNSに上げられて、「勝ったな」って思ったもん。
やっぱ目立ってパパラッチされてナンボみたいな。

MEGA-G:
OSUMIさんはデカいから何もしなくても目立つんだけどね笑
でも俺ほんとシャカが好きで、『BASIC TRAINING(*)』のときもなんとかOSUMIさんとヒデボウイさんのシャウトを…と思ったんだけど、「もうラップはやってないから」って明確に断られちゃったんだよね。
(*)MEGA-Gが2010年に発表したコンピアルバム/Mix CD。
 日本の90年代HIPHOPの名曲をMEGA-GやMSC, 韻踏合組合などのアーティストによりリメイクする企画盤で、曲間に原曲アーティストからのシャウトが収録されていた。

サイプレス上野:
あの2人はそこはかたくなだったもんね、ジブさんの武道館にも出なかったもんね。

シャカはやっぱりバンドサウンドにいったり『GOODFELLAZ』(2002年)で実験的な音になったりで、動き方も考え方もちょっと他とは違ったね。
元々B-BOY PARKとかにも出てなくて、いつでも見れるような人たちでもなくて。

MEGA-G:
そんなこともあって、『BASIC TRAINING』は、シャカとYOU THE ROCK★さんだけはシャウトが取れなかったんだよね。

サイプレス上野:
そういや今年判明したんだけどさ、(YOU THE ROCK★の)『SOUND TRACK ’96』の盤面に俺映ってるんだよ。
レコを家で漁ってたら「あれ、これ俺じゃね?」みたいな、一発で分かるくらいガッツリ映ってたんだよね笑

─お2人はこうした先輩プレイヤーとは主にクラブで会ってたんですか?

サイプレス上野:
俺はHARLEMとかにはめちゃくちゃ通ってたからそこで会うのはもちろんあったし、あと同級生が(BIG-Oがデザイナーを務めた)SWAGGERでデザイナーとして働いてて。
やっぱりちょっとひとつ上のハイブランド感があったから、当時23, 4歳くらいだった俺自身はSWAGGERをめちゃくちゃ追ってた訳ではないんだけど…当時タメのDJで、一緒にイベントをやってた俺の友人こと、三木祐司ってやつがいて。
そいつが新大久保に住んでたんだけど、同じアパートの隣室もSWAGGERの店員だったんだよ。
そこが色んな奴らがドラッグやる溜まり場になったりしてたんだけど…俺は戸塚からそこまでMPC担いで持ち込んで、そこでトラック作ってSWAGGERの奴らに聴かしたりしてたんだよね、今考えると意味わかんねえんだけど笑

MEGA-G:
シスコ坂近辺に行けば大体誰かには会える、って感じだったもんね。
90年代半ばにはあの辺の服屋にNITRO MICROPHONE UNDERGROUND前夜のメンバーが…当時はREQUIEM PLAYERSって名乗ってたっけな、よく溜まってたりして。
トラさん(GORE-TEX)とか超ピリついてて当時は怖かったなー笑

サイプレス上野:
後々知ったんだけど、トラさんは俺のこと「弟よ」ってなぜか言ってくれてた、周りから顔が似てるって言われてたらしくて笑
とにかく、今はみんな大人になったもんね笑
当時の空気もあって俺らは結構やられてたけど、だからこそ自分たちの下にはそういうことしないようにしようってなったし。
俺らはもう若い奴らを叱ったりとかしないじゃん。
俺も後輩のLeon (Fanourakis)にさ、偉そうに「お前の音楽は~」とか言わねえもん、ちゃんと頑張ってるからそれでいいじゃんっていう。

MEGA-G:
うん、どんだけそういう当たりがキツかったかってのを見てきたし。
それでカッコ良い奴が辞めちゃうなんてこともザラにあって…歯を食いしばる時代だったね。

そんな中で俺が上野を始めて知ったのは1999年くらいの新宿イムズってイベントで、吉野がマスクしながらプレイしてたときかな、イカれた奴いんなと思って。

サイプレス上野:
俺もメガやんのことはJUSWANNA前夜…UBGの練習生してた頃くらいから知ってるかな、渋谷NUTSとかに通ううちに、みたいな。

それはやっぱりそういう時代を通ってきた訳で…特にメガやんとはね。
なんか「MEGA-Gとサイプレス上野」って聞くと、スタイル的には全然違う2人みたいに今だと思われるじゃん。
メガやんはMSCでハードコアで、俺は明るくてポップで…みたいな、今だとそういう分け方だと思うんだけど、当時はそんなの一切なかったからね。
一緒に辛酸をなめてきた仲間でしかない笑
GEEKとかもタメでその頃から仲良いしね、ツルんで一緒にやるとかじゃないけどみんな連帯してるみたいな。

デビューまでの障壁、SEEDAの衝撃


─この世代のみなさんは等しく重圧に耐えてたと。

MEGA-G:
うん…でもだからこそ、そんなときにシーンの外からいきなりSEEDAが現れてディール取って『DETONATOR』(1999年, 当時はSHIDA名義)を出したときは衝撃だったよね。
VUENOSでのリリパには実はメシア (the フライ)も出てたんだよね、当時組んでたRJB Crewって名義で。
RJBはReal Japanese B-BOYの略で、超攻めた名前なんだけど笑
それとOZROSAURUSと四街道NATUREが前座でSEEDAがメインっていう…。

サイプレス上野:
マジで?凄いメンツだね笑
『DETONATOR』, あいつがまだ高校生で18のときのアルバムだからね。
SEEDAって結構いきなり登場して注目浴びたじゃん、俺当時悔しくてすげえムカついて。
「あんなの大したことねえよ」とかうそぶいてたんだけど、そしたら俺とSEEDA、同じ大学に入ったんだよ笑
あと(SD JUNKSTAの)DJ ISSOとかも一緒で。
SEEDAと同じ授業になって、席も前後でプリント渡したりしてたんだけど、会話一切してねえんだよね…卒業まで笑
卒業後しばらくしてからキーくん(NORIKIYO)にSEEDAと引き合わされて、お互い「同じ授業いたよな?」みたいに確認するって感じだった。

“未来は暗くない”(*)のときとかはもうお互い棘は抜けてて一緒にRECしてたんだけどね。
(* 2006年, HIPHOP専門誌・BLAST廃刊に際して発表されたSEEDA, サイプレス上野, ANARCHY, COMA-CHI, SIMON, DABOによる1曲)

MEGA-G:
ちなみにいまSEEDAに”外角低目”(『DETONATOR』収録)のHOOKとか歌うと超イヤな顔されるからね笑
(ここでMEGA-G, 実際にHOOK全部暗唱する)
SEEDAとMCバトルするときは絶対このライン使おうと思ってる笑

─全然話が変わりますが、冒頭で言ってた通り、サ上さんはLBでもあるんですよね?

サイプレス上野:
そう、きっかけは(スチャダラパー主催のイベントである)スチャダラ2016〜LB春まつり〜に出たときだね。
俺も出させてもらってたんだけど、ふいにアニさんから「そういやさ、LB入んない?」って言われて。
それで「いいんすか?入りたいです!」って言ったらアニさんが「だってさー、みんないいよねー?」「はーい」って、それで終わり笑

MEGA-G:
適当だなー笑

─入って以降、なにかLBとして動く、みたいな話はあるんですか?

サイプレス上野:
まったくないよ、まっったくない笑
アニさんもキエるマキュウとかとも仲良いから、やっぱりそういうゆるいノリは共通してるとこあるね。

でもまあ、今じゃなく90年代に限って言えばLB Nationの人たちは滅茶苦茶怖かった。
なんかリアルタイムじゃないと、さんピン組がハードコアで怖くて、LBが朗らかみたいなイメージあるじゃん?
あれ当時は逆だから。
ジゴロ7のメンツとか当時はピリピリしてて超怖かった…。

そういう人たちに認められないといけないから、頑張るしかなかったよね。
そこで俺がジャイアン(MEGA-G)すげえなと思ったのは、(ZEEBRAが率いる)UBGの練習生になったじゃん。
「そこ飛び込むんだ!」ってすげえ驚いた。

MEGA-G:
入ったね、クルーの運転手やレコ持ちみたいなのが中心だったね。
当時のUBGは毎週水曜に三茶のNOAに集まって、フリースタイルで練習するんだよ。
ジブさんとかはあまり来れなくて、KM-MARKITやOJ&STが来てて練習して、みたいな感じだった。

でもまあ俺も自分でやりたいって気持ちが出てきたから、HARLEMの3周年イベントとかの…俺が21歳くらいとかのときにジブさんに「辞めて自分で頑張ってみます」って伝えて。
それからスフィア(SPHERE OF INFLUENCE, ZEEBRAの弟)とかと仲良くなって、あいつの2ndアルバム『ATLANTIS』に出たり、みたいな。

─サ上さんはZZとかで同年代の仲間と、という感じでしたね。

サイプレス上野:
ZZ自体は元々STERUSSが作ったクルーで。
俺も21歳とかのときにプレイヤーとして居場所がなくてずっとロゴス(横浜のクラブ、2012年閉店)にいてぶらぶらしてて。
そんなときにDJ KAZZ-Kにトラックを貰って始まった感じだね。

俺も高3のときにジブさんの主宰したコンテストに出て2位になったりしてたんだけど、デビューとかにはならなくて。
ちなみに1位はSpiritual Juice(*)だったな。
(*Dr.PUZZLE, super Yaji, Z.O.E, ATOM, 数珠FLOWの5人組から成るクルー)

あの頃はとにかく金がなくて、仲間が出てるイベントに入れて貰って人が残した酒を混ぜて飲むみたいな有様だったんだよ。

MEGA-G:
分かるわ、俺もDJ KEN-BOさんのレコ持ちしてたときはゲストで入れて貰えたから人の残した酒ちゃんぽんして飲むみたいな…ほんとサバイブだった。
で、たまにゲストで入れない日があったりして。
そんなときに行き場のなくなった俺たちを入れてくれたのが太華さんだったな、「お前らまた来たんか、まあ入れや!」とか言って。
お陰で暖は取れるけど相変わらず金はなくて、とにかく一夜過ごすって感じだった。

サイプレス上野:
とにかくデビューまでの敷居が超高かったから、現場に張り付いて、出来ることは何でもやる感じだったんだよね。
もうコンテストで優勝するとか、上の世代に認められて上げてもらうかみたいな。
あとは(当時のHIPHOPマガジンである)FRONTの「Listen to my demo」ってコーナーにデモテープを送って、ライターにボコボコに書かれながら注目してもらうかくらいしか手段がなくて。

MEGA-G:
マジでボコボコに書かれるんだよね、「トラックは良いけどラップはダサいね」とか笑
でもあそこに載れば全国に名が知られて、バズの一歩手前みたいなとこまで行ける場だった。

サイプレス上野:
俺も一度載ったときがあって、戸塚の知り合いたちみんなから「やったな!」って言われるみたいな、そんな感じだったね。
でもそれ以外で注目される場ってないから、あとはほんとにイベントでデモテープ配りまくるしかない、みたいな。
先輩に「俺たちこんな感じなんで、良かったら!」って言って回るみたいな。

MEGA-G:
それで言うとDJ BEN THE ACEさんは優しかったな。
デモ聴いて下さい!って渡したら「ありがとね、せっかくだし俺のミックステープと交換しようよ」って言ってくれてマジすか!みたいな。
人によっては「とりあえず歌詞カード書いてきてよ、そしたら聴くわ」って言われて、書いて渡したらそれ以降別に何も反応くれない人とかもいたから、あれは感動した。

(DJ)MASTERKEYさんにデモ渡したあととかはMASTERKEYさんの出るイベント全部行って、「マスターさん、俺いつでも(MASTERKEYの人気コンピアルバムシリーズである)DADDY’S MIXとか出れますよ!なんなら今ここでラップしましょうか!」みたいにアピールしてたんだけど、一切呼ばれなくて笑

サイプレス上野:
それがいつか何かに繋がると信じてやるしかなかったんだよね。
俺もDJのMASTERと初めて(神奈川のクラブ)OPPA-LAでイベントやったときとか、客ゼロだったから笑
仲間たちは来てくれるんだけど、それ以外の客がいない笑

MASTERKEYさん関連で言うと俺もあって。
当時MASTERKEYさんがの黄金ルーティン…RUN DMC “DOWN WITH THE KING”やNICE & SMOOTH “HIPHOP JUNKIES”がある流れがあって。
俺そのプレイに興奮しすぎて、ステージに乗り込んでサイドMCかましたんだよね笑
無理やり盛り上げまくって目立ちまくったんだけど、MASTERKEYさんには「こいつ誰…?」みたいな感じで見られて、その後何も起きず終わった笑

まあでも、こうやって話せるのもみんな面白い人たちだからだね。
先輩たちが面白い人たちばっかだったからこうして話せるわけで、つまんなかったらこの会も話すことなくて終わってるから笑

以上(2021/04/08)
───
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